フラットな目線で野球を楽しみたい。

ただ、野球が好き。全力を注いだ一瞬のプレーに魅了されたい。

楽天・荘司投手がプロ初勝利

昨日はプロ野球で様々なトピックがありましたが、個人的には東北楽天ゴールデンイーグルスのドラフト1位ルーキー、荘司康誠投手のプロ初勝利に注目しました。

 

身長189センチで、手足の長いピッチャー体形。上から投げおろす150キロ台のストレートに140キロ台のスプリット、カットボールを操る本格派右腕です。

 

実は5月28日の本拠地・楽天モバイルパークで行われた日本ハム戦での先発登板をテレビで観ていました。万波選手にホームランを打たれたものの、9回を3安打2失点で投げ切り、7奪三振の力投。同点のまま延長戦に入ったので勝敗はつきませんでしたが、大学を出てすぐのルーキーとして十分なピッチングでした。

 

その後先発してもなかなか勝てなかったのですが、7月に入り、昨日のオリックス戦でようやくプロ初勝利をマークしました。ピンチでも浮足立つことなく、キャッチャーのサインに何度も首を振り、自分が納得いく投球をしようとする姿勢が見られました。

 

荘司投手は新潟明訓高校に入ってから本格的に投手を始めていますが、3年春の県大会は2回戦敗退、夏の県大会でも初戦敗退と、甲子園にはまったく縁がありませんでした。

 

進学した立教大学で才能が開花。4年春のリーグ戦で6試合に登板し、防御率1.72の好成績を残して、大学日本代表に選出されます。

 

ドラフト指名時の会見で、「エリートの野球人生ではないが、自分を信じて努力してきた」と語っていたのも印象的です。

 

チームには、同じ長身右腕の田中将大投手、岸孝之投手がいて、本人は田中投手を目標にしているそうですが、個人的には岸投手の制球力や緩急を学ぶことで、より大きく成長するのでは?と思います。

 

今後の活躍を期待しています!

 

1987年の阪神タイガース対横浜大洋ホエールズ~試合前の打撃練習で思ったこと

1987年のある日、某地方球場(阪神主催)で阪神対大洋の試合前、バッティング練習を見ていました。

 

この年から、阪神にとっては、いわゆる『暗黒時代』が始まる訳ですが、その兆候はバッティング練習にも現れていて、緊張感がなく、何となく打っているような印象を受けました。

 

一方の大洋は、各人が自分でテーマを持って打っているようで、特に現在ユーチューバーとして活躍中の高木豊は、鋭いゴロやライナーで野手の間を抜くバッティングをメインに練習していたのを覚えています。

 

この年から古葉竹識監督になったことも、練習内容に関係していたかもしれません。

 

この年、大洋が5位、阪神が6位で終わったのですが、屋鋪要が48盗塁で2年連続となる盗塁王を獲得し、翌年も盗塁王に輝きます。また、カルロス・ポンセが98打点で打点王をマーク。ポンセも翌年に打点王本塁打王のタイトルを手にし、チームは4位に浮上しました。

 

ポンセと言えば、ファミコンで流行ったマリオに似た風貌で人気だったのを思い出します。

 

1990年前後、大洋にはドラフトで谷繁元信(88年1位)、石井琢朗(88年ドラ外)、佐々木主浩(89年1位)、鈴木尚典(90年4位)、斎藤隆(91年1位)、三浦大輔(91年6位)らが入団していて、98年日本一の立役者に育っていきます。

 

阪神が暗黒時代を抜け出すには、もう少し時間が必要でした。

バウアーはなぜ怒った?

7月1日の横浜スタジアム、横浜DeNAベイスターズ中日ドラゴンズの一戦で、ベイスターズのトレバー・バウアー投手が味方の守備に怒りを爆発させる、というシーンがありました。

 

2点ビハインドの6回、ツーアウト一、二塁での挟殺ミスで、満塁になってしまい、『激怒』というわけですが、個人の感想としては、本当に怒るべきは三浦大輔監督だったのでは?と思うのです。

 

あれがもし、ドラゴンズ時代の星野仙一氏だったら、カープ時代の古葉竹識氏だったら…時代が時代だったら、鉄拳が飛んでもおかしくないプレーだと思います。

 

甲子園の高校野球大会なら、出場できなかった学校に見せる顔がない、というような。

 

何だかバウアー個人がそういった雰囲気を察して、代表して怒ってしまったようにも見えます。その後の「ピッチャーゴロでファーストへダッシュ」も含めて、「お前らしっかりせえ!」というメッセージが伝わりました。こういうメッセージは、やっぱりベンチから、特に監督から発して欲しかったな、と思います。

 

三浦監督は選手時代から、感情を表に出すシーンを見たことがなかったので、「そういうことはしない」と決めてるのかな。

あくまで個人的な意見ですが、バウアーが気の毒に思えたシーンでした。

ノムさんと田中碧選手

W杯日本代表、惜しかったですね。

 

開催前、森保監督は「ベスト8を目指す」と語っていたのですが、本当にあと少しでした。しかし、そうやって少しずつ前進していくのでしょう。

今回本当に強いチームだと思いましたが、4年後を目指してさらに強い闘いのできるチームを作り上げてほしいです。

きっと、できる。信じています。

 

さて、W杯に出場し、スペイン戦で決勝ゴールを決めた田中碧(たなか・あお)選手が、インタビューで意外なことを語っていました。公式戦出場のなかったプロ1年目に田中選手を支えたのは、ノムさんこと野村克也氏の言葉、「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせましょう」だったというのです。

 

高校時代に読んだノムさんの本に書いてあった言葉を胸に刻んでいたのだとか。

 

その言葉通り、猛練習を重ねて3年目に選手として花を咲かせ、現在はドイツで活躍している田中選手。24歳なので、2年前に84歳で亡くなったノムさんとの接点はどこにあったのかと最初は不思議に思いました。

 

野球とは違うスポーツで、年齢差があっても、一流の思いは一流に伝わるということなのでしょう。

 

本当に、今回のW杯で日本代表の選手たちは強かったし、次へ向けて走り出して欲しいと願っています。