1987年の阪神タイガース対横浜大洋ホエールズ~試合前の打撃練習で思ったこと
1987年のある日、某地方球場(阪神主催)で阪神対大洋の試合前、バッティング練習を見ていました。
この年から、阪神にとっては、いわゆる『暗黒時代』が始まる訳ですが、その兆候はバッティング練習にも現れていて、緊張感がなく、何となく打っているような印象を受けました。
一方の大洋は、各人が自分でテーマを持って打っているようで、特に現在ユーチューバーとして活躍中の高木豊は、鋭いゴロやライナーで野手の間を抜くバッティングをメインに練習していたのを覚えています。
この年から古葉竹識監督になったことも、練習内容に関係していたかもしれません。
この年、大洋が5位、阪神が6位で終わったのですが、屋鋪要が48盗塁で2年連続となる盗塁王を獲得し、翌年も盗塁王に輝きます。また、カルロス・ポンセが98打点で打点王をマーク。ポンセも翌年に打点王と本塁打王のタイトルを手にし、チームは4位に浮上しました。
ポンセと言えば、ファミコンで流行ったマリオに似た風貌で人気だったのを思い出します。
1990年前後、大洋にはドラフトで谷繁元信(88年1位)、石井琢朗(88年ドラ外)、佐々木主浩(89年1位)、鈴木尚典(90年4位)、斎藤隆(91年1位)、三浦大輔(91年6位)らが入団していて、98年日本一の立役者に育っていきます。
阪神が暗黒時代を抜け出すには、もう少し時間が必要でした。